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日韓併合の真実

2012/05/17 12:00

 

日韓併合の真実

 



日本に併合される前の朝鮮半島の人々


日本は、朝鮮を統治し搾取した等と歴史を捏造する人間がいますが、

真実は真逆です。日本は、日本人の莫大なお金で、

貧国であった朝鮮を発展させたのです。

その事実は、国連のリットン調査団の資料や、

イザベラ・バードの「朝鮮紀行」等でも証明されており、

近年では、多くの韓国人識者達も、その事実を著しています。



リットン調査団

 
日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、

公園、病院、警察署、道路、水力発電所、農地、鉄道などの
文明生活に必要な施設を作りました。

 

朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた莫大な借金
(外国からの借金+国債)を肩代わりして全て日本が返済しました。


日本が建設した世界最大級の水富ダム


日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校のを建設し、
近代教育をしてハングルを必修で学ばせました。

一部の韓国人が言う日本語の強要や、ハングルの禁止は捏造です。

ソウル大学教授の李栄薫さん、呉善花さんなど、

多くの韓国人識者も史実を検証し、証言しています。

日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に
1次、3次産業大幅に伸ばしました。

医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで
飛躍的に延ばしました。


日本統治前のソウル

日本統治により発展したソウル


人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの
驚異的す食料供給力を与えました。

発展の為に必要な資金や資材等の「物的支援」だけでなく、

「人的支援」「技術支援」も同時に行いました。

 

このような日本統治により、 朝鮮半島は、

「奇跡」と呼ばれるほどの大幅な発展をもたらしたのです。


    

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親切だった日本人 「死ぬまでに、もう一度会いたい」

2012/05/17 08:00

 

私にとっての日本統治時代の朝鮮問題は、

そもそも親の世代から「日本人はとても親切な人達だった」と聞いていながら、

学校教育では「日本人は韓国にひどいことをした」と教わるという、

まったく矛盾する事態にぶつかるようになったことにはじまっている。


呉善花氏


母はまた、日本人はみんな親切で、

道に迷って「駅はどこですか」と尋ねたりすれば、

老若男女だれもがとても丁寧に教えてくれると言っていた。


親以外のまわりの大人たちから聞かされた話もまた、

日本に対して悪い印象を語ったものはほとんどなかった。


学校では日本人は野蛮で侵略的な民族であると徹底した反日教育をしていた。

こんな教育を受ければ、どんな者でも反日感情をもつことになるかもしれない。


日本に行ってから、知り合いになった台湾人にそのことを話すと、

「自分はそんなことはなかった」という。

「なぜか」と聞くと、「学校ではすさまじい反日教育を受けた一方、

家庭や地域で聞くのは大部分がその反対のことばかりだったからだ」

と答えていた。

 

終戦時に小学校高学年だった従兄弟の一人は、

当時のことを鮮明に覚えていて、私に次のように語ってくれた。


「日本人の同級生とはとても仲良くしていたし、

差別ということはまったくなかった。

学校以外でも日本人はみんなやさしくしてくれた。

死ぬまでになんとかもう一度日本に行って、

あのころの日本人の友人たちに会いたい」


韓国には伝統的に、

韓民族の日本民族に対する優位性の主張ともなる華夷思想があった。

それは、日本人を文化程度の低い侵略的な野蛮な、

中華文明周辺の夷族とみなす、非中華文明諸民族への蔑視の思想である。

李承晩は、この伝統思想を目覚めさせようとすることに成功したのである。

それが戦後韓国の反日思想の実態である。


呉善花氏著 「生活者の日本統治時代」より

 

 

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インドネシア解放の為に戦った「日本軍神」

2012/05/17 00:00

 

日本はアジア解放の為の戦争を行いました。大東亜戦争です。

インドネシアは約350年の間、オランダに侵略されていました。
日本軍はインドネシアからオランダを追放しましたが、

後に日本は敗戦しました。その後、オランダはインドネシア

再び支配する為に戻って来ました。

 



日本へ、家族の元へ帰れるにもかかわらず、2000名の日本軍人は、

「我々は、アジア解放の為に戦っているのだ」

インドネシア解放の為にインドネシアに残り、戦う事を決心しました。

その内、半数が戦死しました。

独立戦争で戦死した日本兵はジャカルタの英雄墓地や各地の

英雄墓地で祀られています。

1958年に訪日したスカルノ大統領は、インドネシア解放戦争に殉じた、

市来龍夫氏と吉住留五郎氏に感謝の言葉を送りました。
その石碑が東京青松寺に建てられています。

大東亜戦争において我々日本人の祖先は他国の人々の為、
アジア解放の為に自らの命をかけ戦いました。



インドネシア、カリバタ英雄墓地

 


靖国神社を参拝した、インドネシアのアラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相



インドネシア・ブン・トモ 元情報相


「日本軍がアメリカ・オランダ・フランスを我々の面前で徹底的に

打ちのめしてくれた。

我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、

独立は近いと知った。

そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。

それなのに全て日本に背負わせ日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。

申し訳ない。」

(昭和32年、来日の際の発言)


サンパス元復員軍人省長官


「特にインドネシアが感謝する事は、

戦争が終わってから日本軍人約2000人が帰国せず、

インドネシア国軍と共にオランダと戦い、

独立に貢献してくれた事である。

日本の戦死者は国軍墓地に祀り、

功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない」


アラムシャ元第3副首相

 


「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、

350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたが

オランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって

圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、

たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。

インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である」


モハメッド・ナチール元首相


「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。

大東亜戦争は私達アジア人の戦争を

日本が代表して敢行したものです」





スカルノ元大統領


「インドネシアの独立戦争では、3000名の日本兵が

インドネシア独立の為に戦ってくれました。

インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を

今の日本の若い人達は、ほとんど知りません。残念でたまりません。

私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を

きちんと日本で語り継いでほしいと思います。

そして、インドネシアへ来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る

日本兵の奥城にお参りして下さい」

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【国民を護る】 自衛隊の公共心

2012/05/16 22:00

 

第47普通科連隊には即応自衛官169名が含まれていた。

即応予備自衛官は、元自衛隊員で一定の条件を満たし、年間30日の訓練を受けた者で、

普段は一般企業に勤務しながら、有事の際に招集がかかり、

即応して自衛官の勤務に就く。

 

 

即応予備自衛官の中には、今回の大震災の被災者もいた。

津波で倒壊した自宅を修復中に招集がかかって、

「ここでやらなければあとで後悔する」と、招集に応じていく若者がいた。

 

 

自営業の店が損壊した者もいる。

近親者が亡くなった者もいる。

 

それなのに彼らは、自分の家族を探すよりも、

国民の家族を探すために招集に応じる。

 

なんたる公共心だ!

 

 

小林よしのり氏著 「国防論」より

 

 

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東京裁判は、アメリカ、イギリスでも批判された

2012/05/16 18:00

 

1950年、英国枢密院顧問官で、政界の元老であるとともに、

国際法の権威であるハンキー卿が「戦犯裁判の錯誤」を著し、

「裁判官パール氏の主張が、絶対に正しいことを私は全く疑わない」

とはっきり言明して、

いくたの慣行法や実定法や歴史的事実とパール判決の内容を照合しつつ、

戦犯裁判そのものに根本的な疑問符を投げかけるとともに、

東京裁判の不公平を衝いている。

 

ハンキー卿

 

このハンキー卿の主張と前後して、英法曹界の重鎮であるF・J・Pビール氏が、

「野蛮への接近」という著書を著し、

東京とニュルンべルグとにおいて行われた二つの裁判は、

原告では「文明」であると僭称しているが、

実は、戦勝者が敗戦者に加えた

野蛮時代の復讐行為の再現にほかならないことを明らかにした。

 

さらにイギリスでは、国際法で有名なW・フリートマン教授、

国会議員でありかつ王室弁護士である

R・T・パジェット博士などのパール支持論が優勢を占め、

ついにロンドンの世界事情研究所監修「世界情勢年間」には、

54ページから104ページにかけて、東京裁判を解読し、

パール判定が正論であることを裏付けた。

 

フランクリン・ルーズベルト

 

一方、アメリカでも、東京裁判に関する批判と反省の論争は活発に行われた。

チャールズ・ベアート博士は、歴史学・政治学の泰斗として有名で、

日本へも来たことのある人だが、

「ルーズベルト大統領と1941年戦争形態と実際の研究」という長い著書を著し、

その中で、「日本が真珠湾を攻撃するより数ヵ月前に、

ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、

海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令した」と発表し、

日米開戦前夜におけるパール博士の指摘した点を裏付けた。

 

ウィリアム・O・ダグラス

 

またアメリカ最高裁のウィリアム・O・ダグラス判事は、

東京裁判の被告らがなした大審院への再審請求事件に対し、

1949年6月意見書を発表したが、

その中でパール判決を支持し、

国際軍事裁判所は政治的権力の道具以外の何物でもなかった」と批判している。

 

 

田中正明氏著 「パール判事の日本無罪論」より

 

 

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東京裁判判事による日本無罪論

2012/05/16 12:00

 

事後法の禁止と法の平等適用は法治国家の鉄則です。

これを無視している東京裁判は、裁判とは言えません。

国際法を無視し、戦勝国が敗戦国を裁いたリンチである、

東京裁判において、本物の法律家は、

インドパール氏とオランダのレーリンク氏だけでした。

 

 

レーリンク判事は開戦にあたって、

連合国側による石油輸出禁止措置に言及し、

日本が開戦に踏み切った理由は連合国側にある」としています。

南京事件に関してもレーリンク判事は無罪を主張しました。

レーリンク判事は東京裁判をアンフェアであった、

昭和58年6月1日の東京新聞で証言しています。
 



パール判事は東京裁判について、

連合国側が復讐の欲望を満たす為に、

法律的手段をふんでいるようなふりをするものに他ならない」と語っています。

また、パール判事は原爆投下とナチス・ドイツのユダヤ人殺害を同列に論じて

アメリカを激しく非難しています。

 

パール判事は、戦犯とされた方々に対し、

国際法に基づき、「全員無罪」としたのです。

その判決文は、1275ページにも及びましたが、

パール判決は、1952年の占領解除まで一切公表を禁止されました。




東京裁判の4年後、再び来日し、広島で原爆慰霊碑に献花しました。

そこで碑文に書かれた、

「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」の意味を聞くと、

「これは日本人が日本人に謝っている事は明らかだ。

 

ここに祀ってあるのは、原爆犠牲者の霊であり、

その原爆を落としたのは、日本人でない事は明瞭である。

落とした者が責任の所在を明らかにして、

『二度と再びこの過ちを犯さぬ』というなら肯ける。

この過ちが大東亜戦争を意味したいるというなら、

これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が、

東洋侵略の為に蒔いたものである事も明確だ。

 

更にアメリカは、ABCD包囲網を作り日本を経済的に封鎖し、

石油禁輸まで行って挑発した上、ハル・ノートまで突き付けてきた。

アメリカこそ開戦の責任者である」と証言しています。


 

パール判事は、

「満州事変から大東亜戦争勃発に至る真実の歴史を、

どうか私の判決文を通して十分研究して頂きたい。

日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って、

卑屈、退廃にされていくのを、

私は見逃して平然たるわけにはゆかない。

彼等の戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。

誤られた歴史は書き換えなければならない」

 

「日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという

錯覚に陥る事は、民族自尊の精神を失うものである。

日本人よ、日本人は連合国から与えられた戦犯の観念を

頭から一掃せよ」と語っています。

 

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明治天皇

2012/05/16 08:00

 

明治天皇は、若年で即位して以来、

大政奉還、王政復古と戊辰戦争、明治維新、日清戦争、

日露戦争など、激動の幕末から明治時代を経験し、

明治新政府、近代国家日本の指導者、
象徴として、絶対君主として国民から畏敬されました。




日常生活は質素を旨とし、自己を律すること峻厳にして、

天皇としての威厳の保持に努めたそうです。

また、乗馬と和歌を好み、文化的な素養にも富んでいました。
普段は茶目っ気のある性格で、

皇后や女官達は自分が考えたあだ名で呼んでいたと言います。
非西欧諸国の中で近代化に成功した日本の君主ということで、
海外での評価は日本国内以上に高く、

エチオピアのハイレ・セラシエ1世や、
パラグアイのアルフレド・ストロエスネルなど、

明治天皇を尊敬する外国人は多いのです。



ドナルド・キーン氏の「明治天皇を語る」には、

明治天皇は、大本営で暮らされている時は前線の兵士の労苦を思い起こし、

本当に質素で、真面目にすごされていたと記されています。

日清戦争、日露戦争の各局面でも、

相手を思いやる言辞を常に忘れない姿勢に、キーン氏は感動したと言います。

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日本民族の「和の精神」に基づいた内地延長主義

2012/05/16 00:00

 

日本の同化政策は台湾や朝鮮の住民の文化と生活を、

内地の国民並みに引き上げることを目的としていた。


史実に沿って言えば、日本政府は台湾で搾取したのではなく、

台湾経営の為に日本国民を搾取していたのである。

例えば、日本領台の初年から1905年に至るまでの10年間、

台湾総督府の年間予算は、日本政府からの補償によって支えられてきた。



台湾製糖株式会社第二工場

1896年の台湾総督府への補助金は700万円弱である。

日本人一人当たりの予算額は2円27銭であったのに対し、

台湾人は一人あたり3円16銭であった。


軍事面でも同様である。ヨーロッパ各国では、

しかも初期の台湾人一人当たりの予算は日本国内より高かった。

植民地の軍事費は現地で調達するのが常識だったが、

日本は台湾と朝鮮において、すべての中央予算から支されていた。

本来ならば国土防衛費を支払うのは、国民一人ひとりの義務である。

それを日本が出していたということは、

台湾人も朝鮮人も日本軍から「搾取」されていなかった何よりの証拠であろう。


黄文雄氏著 台湾・朝鮮・満州「日本の植民地の真実」より

 

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台湾・韓国人識者による「創氏改名」解説

2012/05/15 22:00

 

日本は1910年から敗戦まで、

当時のお金で20億8千万円を持ち出しています。
日本は朝鮮を植民地としてではなく、

新しく拡大された日本の一部と考えていたので、

莫大な投資をし、人口調査、

土地調査が開始され、治山治水等の設備を整えて農業の生産性を向上させ、

工業施設を整備し、教育を普及させ水準を向上させました。


 

そんな中、中国の千年属国であった朝鮮人は、

日本国籍を有しているにもかかわらず、満州において、

中国人に襲われるという事件が多発しました。

 

創氏改名は、そのような被害を受けた、

満州に移住した朝鮮人達から、要請があった事がきっかけでした。

朝鮮が長い間、中国に礼をつくす属国の位置にあった人もあって、

中国人は朝鮮人を頭から馬鹿にして差別的に対応していました。

昭和6年に満州の朝鮮移民と中国人との間の衝突事件、
「万宝山事件」というのがありました。

土地のない朝鮮農民達の満州移住が進められていましたが、

彼らは地元の中国人からさんざん苛められ、

ついに中国人集団から組織的な暴力攻撃を受ける事件に発展したのです。

その時には日本の軍人達が助けましたが、

日本の国籍をもっている以上、日本人名であれば、

もはや支那人にいじめられなくてもすむだろうということから、

改名の要請が度々行われたのです。



呉善花氏著、「生活者の日本統治時代」より


「改名」については義務化されず、完全な申請制で、

申請手続きには手数料も取られている。
実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。

朝鮮総督府への申告というのは、つまり、

被治者が治者側と同階層になれるというものであり、
「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、

本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。

 

 

当時、半年の届け出期間中、

朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。

創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、

満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。

 

日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、

日鮮同祖論という親近感があり、

創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。

一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、

むしろ改名は「高嶺の花」であった。

黄文雄氏著、台湾・朝鮮・満州「日本の植民地の真実」より




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パール判事「被告人全員無罪」の真相

2012/05/15 18:00

 

東京裁判において、「被告人全員無罪」を主張した、インドラダ・ビノード・パール判事。

 

 

同じ東洋人だから、日本に味方したのだろう、

といった安易な見方をする人がいるかもしれない。

しかしこれは、博士の精神を冒涜するものであり、見当違いも甚だしい。

 

 

「私が日本に同情ある判決を行ったと考えるならば、それはとんでもない誤解である。

私は日本の同情者として判決したのでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。

真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき法を適用したに過ぎない。

それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない」

 

 

この裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって一年半後、

ウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白し、

さらに三年半後の五月三日、アメリカに戻って上院軍事外交委員会の席上で、

「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、

安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と言明したのである。

 

 

田中正明氏著 「パール判事の日本無罪論」より

 

 

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